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■9月17日 晴れ一時雨
モーニングコールは午前7:00。 コールの前、6:30頃に目が覚めてカーテンを開く。

チュニジアの朝があけるのは、意外と遅い。窓を開けると風がひんやりとしている。独特の香りに気がつく。階下を覗くと路面電車が通っており、色とりどりの車体が通り過ぎていく。

身支度をしてレストランに行くと、朝はアメリカンスタイルの食事。パンやチーズ、クロワッサン、パンなど。窓の外には青い空に白い建物。

そしてチュニジアの国旗。向かいの建物は以前先生が展示会をされた建物(チュニス市立劇場)だということ。とてもりっぱな概観に圧倒されっぱなしだった。


午前9:00にロビーで集合。

ホテルの前で集合写真を数枚とってバスに乗り込む。アラブは金曜日にお休みが多いのだけど、チュニジアは日曜が休みなので、道がすいているとのこと。お休みの日はゆっくり活動するのが基本らしい。


バスでチュニス駅へ。その途中フラミンゴの大群を目にする。チュニス湖に薄ピンクが華やかに見える。TGMはチュニジアの最初の鉄道だ。T=チュニス、G=グレット、M=マルサ それぞれの駅を結ぶため、頭文字をとってTGMと付けられたらしい。

チュニス駅から1つ目の駅でドアが開いて飛び乗ってくる人・・・、はさまれている。ドアは自動ではなく手動。閉まりかけると同時に電車が出発する。このドアが曲者。なかなか開かなくて現地の人でも苦労するみたい。3人がかりでドアをこじ開ける。

3つ目の駅で降りてカルタゴ遺跡まで向かった。チュニジアについてから最初の観光。遺跡に入る前に1ディナールを支払う。写真を撮る際に必要になるそうだ。ほとんどの遺跡で1ディナールが必要になる。


遺跡の向こうには青い空と山が広がっている。カルタゴはチュニジアの歴史発祥の地といわれている1番有名な遺跡。カルタゴは新しい街という意味だ。

ローマとフェニキアが戦い、3回目の戦でやっとローマが勝利し、ローマの街になったので、ここはフェニキアとローマの遺跡なのだそうだ。

フェニキア人の住まいは素朴なのだと説明を受ける。確かにローマ人の遺跡に比べたら素朴に感じた。モザイクも白い貝殻を並べただけのシンプルなものだった。

それは見せるためのものではないのだから、凝る必要もなかったのだと教えてくれた。




カルタゴ遺跡の横に併設されている博物館に入ってみる。中庭の壁のモザイクに目を奪われる。室内に入ると奉納石や哺乳瓶や、カルタゴ遺跡の全貌が描かれた図などがある。

2階の窓から心地よい風が吹く。開け放たれた開放的な博物館だ。博物館を出たところに猫が何匹もいる。チュニジアには猫が多い。日本より細身でしなやかな猫。アラブの国では猫をよく見かける。


奉納石がたくさんおいてある場所へ移動する。奉納石とは、いつどんなものを神様に奉納したか記したもの。奉納石はお願いの大きさによって奉納するものが変わってくる。それは、動物の生贄だったり、子供だったりしたそうだ。

タニトの石を見つける。タニトは豊穣の神で、まるで女子トイレのマークのような形で描かれる。その帰りにジャスミンとブーゲンビリアの花を見つける。白い壁にとても生える。

ローマ時代の共同浴場に向かう途中、ローズマリーの木を見かける。

共同浴場は今の日本で言うスーパー銭湯のような存在。サウナだけではなく、レストランなど兼ね備えた社交場だった。地下まである。

中を歩いてみると、どこかの競技場のような大きさだ。遺跡の向こうに海が見える。チュニジアンブルーは、その海の色からきているとはじめて知る。エメラルドグリーンとブルーの間のような美しい海の色。晴れていてこそ、この色が美しくみえるのだと。




シディブサイドに到着。ガイドブックを見て、すごく楽しみにしていた場所だった。

青い空に白い壁、青いドアが目に飛び込んでくる。一言で言うならば、華やかなリゾート地といった印象だ。シディブサイドはスペインのアラブ人が作ったと聞く。スペインのアンダルシア地方に似ていると思っていたので、納得した。


有名な観光地だけあって人が多い。

ジャスミンの花売りをする男の人。彼がジャスミンの花が入ったかごを近くに寄せただけで、ふわりといいかおりが漂う。





3ディナール払うとシディブサイドを上から見ることができる場所があるというので入ってみた。

目に入る巨大な銀の鳥かご。中もすべてが美しい。中庭でミントティーのサービスがあった。チュニジアに来て初のミントティーは甘く濃く、のどにすっと収まった。屋上にあがると風がつよい。白いシャツが風にはらんで膨らむ友人を見ながら写真を撮った。強い風に日差しの強さをやわらげてくれる。


集合場所のcafeでは水タバコを吸う人がいる。

水タバコはゆっくり30分ほどかけて吸う。何人もの人と談笑しながら吸うのがこちらのスタイルだそう。普通のタバコよりまろやかなのだとか。




バスに乗ってまた移動。お昼はLepirateで食事をする。

生い茂る木の先にテラス席がある。中に入ると程よく光が届く室内。四角く切り取られた窓からは、緑が光に照らされやわらかくうつる。白い壁には白い花と赤い花が印象的だ。

メニューは春巻きとたこ入りのサラダ、グリルしたカジキにジャガイモのカレー風ソテーとラタトゥイユ。デザートはライムのシャーベット。そしてミントティーだった。陽気なギャルソンたち。

パンと一緒に辛み調味料のハリッサが運ばれてくる。ハリッサはお店によって辛さが違う。パンにつけて食べてみる。コーラ2.5ディナール、ビール4.5ディナール。

食事が終わって外に出るとギャルソンの1人がペンを持ってるかと聞いてくる。ペンを差し出すと服にしまいこもうとした。日本製のペンが欲しいのだという。

チュニスに戻るバスから町並みや人を眺めていた。その間に雨が降った。

バルドー博物館を見学する。いたるところにモザイクがあった。床にも、階段の脇にも。モザイクは石を合わせて模様を作る。モザイクの発祥の地はメソポタミア。

チュニジアのモザイクの歴史は3つに分かれる。

フェニキア時代(白い大理石を簡単に張っただけのもの)

ローマ時代(石が細かくひとつのモザイクにストーリー性がある)

アラブ時代(絶滅)

バルドー博物館には、その場所にふさわしい程の生ける美がいたと、あとで聞いてその姿を見なかったことを残念に思う。



一度ホテルに戻って、夜まで自由時間となった。

時計を見ると2時間ほどある。迷った結果チュニスの旧市街へ歩いてみる。人が多くて見上げる空はまだ眩しい。旧市街地に向かっていくと、日曜なのでほとんどの店が閉まっている。スークの中は物寂しくて、背を向けて戻り始めた。スークの入り口ではサッカーをする少年。

車の通りも激しくてなかなか道を渡れないでいると、思い切って歩き出す友人M。ホテルに戻ると残り1時間あまり。疲れと眠気がどっと出てくるものの、夜の歓迎レセプションまで時間がない。あわてて支度をする。

ロビーへ降りていくと、さまざまにドレスアップする人の姿。着物の先生をはじめ、浴衣のかた、沖縄の紅型の洋服、ワンピースにスーツ。浮き足立つ私たちを周りのお客さんは不思議な目で見ている。

バスに揺られて旧市街のカスバに到着。カスバとは官庁街のことを指すのだそう。バスから降りて狭いスークの中を通る。Essarayaというお店の中に入るとその豪華さに感嘆の声。今日はこのお店の中庭で食事をする。テーブルにはキャンドルがあり、ウードを生演奏してくれる。

政府観光局のNO,1とNO,2が先生のためにいらっしゃった。主賓のご挨拶、先生のご挨拶の後に乾杯をする。立派な盾を頂く先生。私たちにはオリーブオイルがプレゼントされた。


食事は、パンにハリッサ、前菜の盛り合わせ、ご飯に煮込み料理、デザートはミルクプリンのようなものだった。ハリッサが美味しくてパンにたくさんつけて食べた。

テーブルのひとでワインを飲む。

夜、ホテルの前までバスが到着すると、そこで今日は解散となった。

私は友人Mとブルギバ通りにある噴水と時計台まで歩いてみる。ブルギバ通りはランプが可愛らしい。時計台に行く途中のcafeで何回もジャポン?とたずねられる。確かに東洋人はあまりいないので珍しいようだ。


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